(プロジェクト、マルチプルワーク:DIYアイロンプリント、オンラインストア上の通販品)

●展示場所/日時
  東京都 貸し民家 [プライベイト] / 2022年8月20・21日
  東京都 powderoom gallery / 2022年9月12・13・14日


コンセプチュアルな作品の新しい流通経路の模索として考案された、衣服などに貼ることを想定されたプリントシリーズ。

会場では作者のデザインしたA4サイズの図案を展示し、来場者が気に入ったものがあれば、アイロンで貼り付けられるDIYプリントに印刷し発売した。


(多くの作品は、そのコンセプトや購入者からの希望に応じて、展示会場に持ち込んだプリンターとノートPCにより、その場でデザインの一部を加筆・変更し販売した。)

※一部商品は下記サイトにて購入可能

https://suzuri.jp/RTbazuriTaro/designs

★下記 各作品情報(展示の際の出力サイズはすべてA4サイズ)
※一部作品はゾーニングが難しいオンライン上の制限のため、加工をしています。


シリーズタイトル「マリファナ」は

”一部の人しか知らない楽しみをこっそり売る”

というその売買の在り方からとりました。
大麻合法化や違法薬物の使用売買等への意見表明は基本的に意図していません。



『Burnt after reading』



購入者は、展示されているプリント(A4用紙。実物のマッチ+側薬付き)+ステンレストレイを受け取る。


購入者が屋外で、渡されたプリント用紙を燃やし、その動画を携帯電話などで撮影し、展示会場に持ち帰る。


展示会場でスタッフが、その動画の写っている購入者のデバイス液晶を、静止画として再度撮影する。


スタッフは③で撮影した静止画を、PC上にてプリントに挿入し、それをシャツ用のプリントとして印刷し、購入者に渡す。

 
燃えて消えてしまった後に残る燃えて消えてしまったということ、イメージと概念。

導入される唯一性と一回性。

購入者だけが(作者も所有しない)、燃えている動画を、燃やした記憶と共に所有する。

”あなたが” 街中で紙を燃やす日。
を着る。共に在りうれる。



『レシート』

金銭受け渡しの日時・秒数を、会場で加筆し印刷するプリント。

服の売買のインタラクティブ性。証左としてのレシート。

売買における「命がけの跳躍」(マルクス)。
それは私たち双方の現前を前提とする。
共に在る。会った。記念。そしてその無意味さ(ゴミみたいな紙切れ一枚の)。


本作では宇宙創成日(予測)から秒単位で計算し加筆し印刷するバージョンもあります。
※ネットで検索したところ現在、宇宙創成はざっくり137億年前と仮定されているようです。そこで、その137億年前の1月1日を宇宙創成日だと仮定し、日数換算で5兆370億日、秒数にすると86400×537800000000=47,003,720,000,000,000 (約4.7京秒?)+「展示の日程中における購入秒」が、宇宙創成から購入日までの概算秒数となる計算です。 こちらのバージョンではその秒数を計算し、加筆したものをプリントしました。
 (上記は作家がネットの情報をもとに計算したものです。)

『Catch Me If You Can』

・外部から採取した乳首画像をもとにしたコラージュ
※諸事情によりオンライン上では作品全体にモザイクをかけています。

・日本において、女性が街など公共の場で乳首を見せるのは一般的に違法であり、それは写真でも同様だと聞いた。ことの是非はさておき、当然これは自由に関わる問題であると感じた。
・数があまりに多くなると、個々の意味は変質する。非猥雑な乳首。群衆と個人。集合体嫌悪。
・古い写真集などから採取した乳首画像だが、その全てに加工をほどこしたので、誰の乳首か判断がつく人間はいない。その乳首は過去誰かの乳首であったが、もはや誰の乳首でもない(「非実在乳首」)。仮にそれが無断転用だとしても法で裁かれることはない。それは言うなれば、映画「The Terminal」のような、ある種の司法(社会システム)の宙空状態に似る。実存のむき出しと自由、社会との戯れ。
 
※なお「本当の」乳首は当然、服の下、着用者の体にある。
これをプリントと対比することで、大衆と個人、シュミラークルと肉体の対比と見ることができ、その文脈で見れば一見、挑発的に見える「Catch Me If You Can」の文字も空虚さに対する実存の悲鳴とも見えうる。

『バカとマヌケにしか、わからない服』

都内の某オフィスで撮影した、作家自身の裸の写真をもとにしたプリント。
※諸事情によりオンライン上では作品全体にモザイクをかけています。


・アダルトビデオにおけるモザイク。これは海外のほとんどの国にない日本固有の現象だという。そして、「服」を身体を隠すものと定義し、「モザイク」を日本特有の衣服であると仮定する。
 
・ここで借用したジャン・ミシェル・バスキアの王冠のイメージは、もともとテレビ番組「リトル・ラスカルズ」に登場する黒人少年やバスキア本人の髪型をもとにしたものとの説があり、黒人である作家自身のアイデンティティの象徴とされる。
 
・上記をもとに本作では作家自身のアイデンティティの表明と共に、複雑な都合の上ではあるものの、しばしば不合理であると批判される日本のアダルトビデオにおける「モザイク」という現象を通し、そこに通底する日本社会の形式主義、建前社会を揶揄している。
 

服を着ているとき、基本的にその服を着用者本人は見ない(見えない)。「裸の王様」の寓話を軸にした、見えること/見えないことに関するプリント。

『指名手配』
このプリントの貼り付けられた服をきて、展示期間後に作家に会ったら、作家が2000円を払うという作品。
※諸事情によりオンライン上では作品の一部にモザイクをかけています。

クローズドな排他的関係性。継続する遊び。
 
本作のデザインはマルセル・デュシャンのレディ・メイド作品(指名手配のチラシにデュシャン自身の写真を貼り付け、一部文章を変えたもの。アンディ・ウォーホールの、指名手配犯の巨大写真を大型パビリオンに掲げた作品「most wanted man」のインスパイア元としても知られる)からのサンプリング。


『さぁ、迷子になろう!!』

都内の某オフィスで撮影した、作家自身の裸の写真をもとにしたプリント。
撮影当時は今回のような使い方は想定していなかったこともあり、顔に作家自身の迷いがにじみ出ている。
※諸事情によりオンライン上では作品全体にモザイクをかけています。

騙されぬ者は彷徨う(Les non-dupes errent)。
迷子になることは楽しい。

『パノプティコン』

或る身体機関に瞳の絵をコラージュしたプリント
※諸事情によりオンライン上では作品全体にモザイクをかけています。

見せてはいけないもの、見てはいけないもの、見せるもの、見られらてはいけないもの、見られるもの、見るもの、見ていないもの、ちょっとぐらいなら見せても良いもの、想像させること、想像されていると思うこと、想像されていると自覚していることを自覚すること、見られていないもの。
公共空間と、視線 を意識化するための装置としての衣服
 
※パノプティコン (panopticon):
中央の高い監視塔から監獄のすべての部分が見えるように造られた円形の刑務所施設。ミシェル=フーコーが近代管理システムの起源として紹介したことで知られる。ここでは内面化したものも含め、視線と公的意識の問題を示唆するために用いられている。

『蚊 改』

展示会場で遭遇し殺害した蚊の死体の写真プリント。会場ではその死の唯一性を強調する意味で、プリントされた蚊の死体とセットで販売した。
※プリント内の”Newer Death”や製造年月日などは都度変更された。


蚊は非常に身近な生物でありながら、同時に世界で最も多くの人命を殺傷している生物であり、ここでは「隣り合わせの死」の象徴として扱われている。

仮に蚊に知性があるとして、この日の死をどれほど覚悟していたのだろうか。 また、彼女(蚊は雌のみ吸血する)を殺さんとする私の両手が迫るその瞬間、彼女は何を思っていたのだろうか。
 
「今日」という日、私たちが生きて在る事実を記念し、先着購入者1名に、蚊の死体と共に販売する。
(※その死体をプリントした服に張り付けること推奨)

また、これは或るタイプの「作品」というもののメタファーなのかもしれない。
基本的に作品は、作者の手にある間は変化の可能性(=生)に開かれたもので、(概念上、)「完成」すると不変=死となる。作者は作品を作るとき、多くの場合、変化/生成変化し作品と同一化するため、その場合、その作品の完成(誕生)は作者の死だと言える。


『価値はサイズによります。』
購入者の希望にあわせてプリントをカットし、その大きさに応じて金額が決まる作品。
ジュゼッペ・ピノ=ガッリツィオの「工業絵画(industrial painting)」(メートル単位で量り売りされる絵画)のサンプリング。
量り売りによる交流、売買の遊び。細かくカットされた図案を貼り付ける。
インタラクティブな衣服。

『アイデア』
「或る概念によって作者がマスターベーションする動画作品」の写真。

 ※こちらのもとになった動画作品は、作者のノートPCにより会場の希望者のみに限定的に公開しました。

数年前、或る政治的な問題に関して日本国内で大きな議論が巻き起こった。
私はその際、一部の人たちが実際の問題を超え、当事者不在の形骸化した「概念」をもとに(恐らく本人たちの、広義での快楽のための)「論争のための論争」をしているように思え、会田誠さんの作品『イデア』(「美少女」という概念で自慰行為をする会田さん本人の動画作品。)に重なって見えた。
私はここに当該の問題を超えた普遍的なものがあると感じ、そのことを揶揄する作品を作りたいと考えたが、同時にここで当該の問題の「真の当事者」に、不要な痛みを与えないようにしたいとも考えた。そこで本作では当該の「概念」に関してはモザイクをかけた。
 

また、本作では、作家本人を黒く塗りつぶし、一見しては何をしているのか分からなくしたバージョンも販売しています。
これはより一層、アイデア=概念に関して、自己言及的な作品であるとも言いえると考えています。


『蝉』

私たちは毎日、違うシャツを着ている。同じシャツはありえない。生まれ変わる、再生の契機。毎日違う世界。ドッピオみたいに自分を脱いで、ディアボロみたいに無限。

蝉は、やかましく生きて死んだはずが翌年もまた現れ騒ぐ。脱皮し新しい自分になり空を飛び回る。その特徴から中国やギリシャでは古代、不死の象徴であったそうです。
自分自身であるという事を脱ぎ捨て、命を燃やすということ。延々と永遠と。
※来場者からの要望に応え、細部のデザイン変更をした『蝉 改1』『蝉 改2』も販売しました。

『TOPLESS』
販売する場所で購入者の肌の写真を撮り、それをサンプリングし印刷してシャツなど上半身の服に貼るアイデア。

当然ながらその服を着ている段階で、そこに描かれたトップレス(上裸)の言葉は虚偽となる可能性を強く持つ。

その虚偽は「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。/世界人権宣言」(:Top Less)にも関わらず、実際の所は不平等や不自由があるという現実に対し、共に虚偽であるという点で似ている。

つまり、服≒社会をなくせば、誰しも世界に対し平等な一人の人間であるという考えと、その考えはシャツ一枚脱ぐだけで失効するというアイロニー。

『私の持ち物、売ります』
 
自分が「売り手」であることを宣言する。その瞬間から、あなたの持ち物は「商品」という一面を備えることになる。買い手との交渉次第で、あなたは、あなたの大抵の持ち物を売ることができるようになる。
 
さっき買ったガム、はいている下着、財布の中の野口、身体を齧らせる権利、あなたから見える景色、頭の上の空気、昨日ついた嘘、丸い正三角形、あなたの中の国会議事堂、あfほうえdjgい:p、・・・。
 
あなたと買い手さえ納得することができれば、世界のほとんど全てのものには値段がつき、それは商品になる。

売買。世界を動かす神秘で遊ぶ。 
 

※このプリントの制作中、彼女から「違法ドラッグの売人をイメージさせる」との意見をもらい、それによせるのも面白いかと思い、色付きのデザイン(通称「売人版」)の制作にトライしました。しかしこの売人版は、完成度がイマイチにも思えるので、購入希望の方で変更のアイデアを頂けるようであればお伝えください。


『叫べます』
購入した人と作家が話し合い、都合のいい時間帯を調整し、どちらか(もしくは両者)が叫ぶ声を相手に聞かせる(電話など可)。
 
クローズドな排他的関係性の遊び。
 
実際に着用の場合を考慮し
3つのタイプを用意しました。
・(上記の)文字だけタイプ:最もシンプルにコンセプトを形にしました。

・棒人間タイプ:気が乗らない相手から「叫んでよ」と無茶振りされた時に棒人間が叫ぶふりをしてお茶を濁せるタイプ。
 
・写真タイプ:渋谷のスクランブル交差点で(感染症対策徹底の上、)作者が一人で叫んでみた時の写真。 周囲からの視線と偶然映り込んだ企業広告が味わい深い、最もグラフィカルなタイプ

『転売されるFREE SMILE』

かつてメニューに「スマイル無料」の表記があった或る大手ハンバーガーチェーンでは、今でもテイクアウトの際、「スマイル」をオーダーすると店員さんが紙袋に簡単な絵やメッセージを描いてくれる。

(作品のリサーチで過去に何回か頼んだのだけれど、この注文は割と珍しいもののようで、どの店舗でも店員さん同士で戸惑いながらもキャッキャと楽し気に描いてくれた。)

本作では、実際にオーダーし、紙袋に店員さんが描いてくれた「無料のスマイル」を、無断で転用し販売する。


ハンバーガーショップの店員さんは、この「無料スマイル」の注文を、何らかの形で拒否することも原理的にはできるはずだ。しかし、恐らくほとんど全ての店は断らない(断れない)。
FREE(無料) だけどFREE(自由)でないスマイル。私はここに依然残る日本的な在り方の典型を見るように思った。

また本作を通し、売買行為に存在する「反・疎外」性や、人の描いたものを無断で売ることの道義性などを考えることにつながると考えた。

『これはフェイクです。』
購入者が自ら印刷されたガムテープの形に切り取って、貼り付ける図案。

いわゆるブランドもののシャツなどに貼り付けて、そのシャツをダサくするという流れで考えついたアイデア。
ちなみにガムテープを使っている理由は、制作中にライアン・ガンダーのガムテープの作品をネットで見て、影響を受けたためそのパクり(フェイク?)です。

『幼年期の終わり』
10年以上前に描いた落書き。

上から見下ろす姿が、超自我的に見えた。またその成長段階における在りようを、「社会」と「自然」の間としての「笑い」と、人間と死体(自然)の間である「ゾンビ」との関連のように見えた。


『返金する服』

購入日から1年以内にこのプリントを持ってきた人に1,000円返金する(服に貼り付けること推奨)
他人に渡されること前提に着られ続ける服、継続する関心。

米澤嶺さん』

2022/9/13制作。#RTバズり太郎作、アーティストの米澤嶺さんにご協力いただいたコラージュ作品です。

2022年9月の展示の際、米澤さんがその前回の展示でご購入いただいた拙作の蝉柄アイロンプリントを貼り付けた服を着てご来場されました。
そして話の流れで、展示会場で撮影した米澤さんご本人の写真に米澤さん直筆の自画像の写真をコラージュし、その場でこの作品を作りました。
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うかがい知ることのできない誰かたちの意味を所有する という遊び

『部屋着用偽ブランド品作成の提案』

何かしらのブランドのロゴを購入者が自らシャツにプリントし、家庭内で個人利用することへの提案

ブランドの借用は室内等における私的利用であれば法的に制限はされていない。そのことを軸に、「偽ブランド品」を合法的に作り出すことで、「ブランド」とは何かを考える。

 少し奇抜過ぎるように思える洋服でも「〇〇というブランドの商品だから」と背中を押され購入した経験や、或いはそれに類する覚えのある人は少なからずいるのではないかと思う。

 私はそういった経験などから「或る商品を作り、売る人がいる」という事は、「それを”買う人”の背中を押す人がいる」ということで、それは「ブランド」と、そして「表現」という枠組みの大きな力だと考えた。

『新しい古着』
※ステッカー状に切り取り、貼り付けることのできるプリント。

古着の街、高円寺での展示に合わせて作成。
 
当たり前の話ではあるが、いわゆる「古着」であっても、その着方やセレクト、在り方によっては常に新しい、世界を拓く可能性であり、これは、そのことをイキリ散らかして宣言するためのプリントです。

 
当たり前の話ではあるが、いわゆる「古着」であったとしても、1秒1秒移り変わり、常に新しく完成し続けているという意味で「新品」。

当たり前の話ではあるが、いわゆる「新品」であったとしても、1秒1秒移り変わり、常に古く経年変化をしているという意味で「古着」。
 
これを貼り付けることで、古着の新品性、新品の古着性を浮き出させ、その変化と転倒を楽しむことができるかもしれません。

『紙破り』
 
恐らく禁止されていないのに日本のほとんどの人が破ってはいけないと考えている「或る紙」に作家がサインを行い、購入者と共に2つに破るアクション。共犯関係の記念(証拠)として、購入者と作家が破った紙片をそれぞれ持ち帰る。
※行為実施の記念として、プリントに当日の日付を記入し、購入者に渡す。
※当事者性・内密性を重視する作品のため作家と購入者以外、展示空間にいない場合のみ販売する。

作品タイトルは村上三郎さんの『作品(通過)』(通称「紙破り」。大きく張った紙を身体で突き破るアクション)からのサンプリング。

『中指』
左手の中指を切り落とした過去作『Fuck’n Beautiful world』に関して、「全てのことに中指を立てない=否定しない」といった解釈いただくことがしばしばあり、極論それは確かにそのつもりなのだけど、ただ、もっと通俗的なレベルでは、私も普通に一人の人間としてダメなことはダメだと否定した方がいい場合もあると考えている。
今回はそれを形にしたいと考え、多くの人と同じ一人の市民として中指のある右手の写真と、「当たり前性」を協調する意味で小学生の姪の書いた文字を組み合わせた。
 
※本作にはより着やすいように文字のないバージョン、イラスト調のバージョンもある。


 
『どうせ、全部忘れる』
作者の子供の頃の写真。当時のことは何にも覚えていない。私たちはどうせ、全部忘れる。
 
少し前、古くからの友人に「オマエは子供の頃、もっとちょけてたよ。」と言われた。それまで割と子供時代はずっと退屈していたように思っていたが、言われてみると、確かに結構アホだった気がしてきた。
今回のシリーズは基本的に思いついたものをかたっぱしから形にしていくことでアウトプットの数を増やすと共に、作家としての自分の殻を破る意図もあった。その初心を忘れないようにという意味もあり、ここに提示した

『どうせ、全部忘れる』作者の子供の頃の写真。当時のことは何にも覚えていない。私たちはどうせ、全部忘れる。 少し前、古くからの友人に「オマエは子供の頃、もっとちょけてたよ。」と言われた。それまで割と子供時代はずっと退屈していたように思っていたが、言われてみると、確かに結構アホだった気がしてきた。今回のシリーズは基本的に思いついたものをかたっぱしから形にしていくことでアウトプットの数を増やすと共に、作家としての自分の殻を破る意図もあった。その初心を忘れないように、という意味もあり、ここに提示した。



『シャツの裏側に貼るプリント』
人に見せられないものをプリントしそれを貼り付けた服を着る。
 
性器の写真、昔の夢、不正の告発、愛人の名前、コンプレックス、信仰・・・・。
秘密を身につけ、ハリのある生活。

『サブスクリプション』
初期費用の支払による作品の定期更新サービス。
ある種のメールアートのように断続的に継続するコミュニケーション。

『この紙を見ているあなたの後頭部』
※購入いただいた場合、この用紙を見ている当の購入者自身の後頭部の写真を、会場にて撮影しそれをプリントに挿入し印刷するというアイデア。
 
もしあなたがこのプリントを購入した場合、このプリントを貼った服を着ているあなたを見た人は、そのプリントにどこか薄っすらとした既視感を覚えることでしょう。(後頭部の半匿名性。)
 
撮影時このプリントに顔を向けていたあなたと、着用後のプリントを見るその誰かは、共に、そのプリント平面に顔を向けているという意味で、
言うなれば、空間的にほぼ相似の位置関係になると言えるかもしれません。
(どのようにそのプリントを扱うかにもよりますが、恐らくその眼差しのベクトルは着用しているあなた自身の身体に向かっていることでしょう。)
 
そして、その時、その服を着ている当のあなた自身の視線は、恐らく異なる方向に向けられているのではないでしょうか。
その時、その未来のあなたの両目に何が写っているか、それは今、この場所にいるあなた自身は知る由もないでしょう。
ただ確かなことは、これから撮影されるあなたの視界に映るであろう焦点の定まらない景色の存在と、何よりあなた自身がこの場にいたという事実。

『cool business』

「×」印に穴をあけヒモを通し、裸で首から下げる事を想定されたプリント。もしくは夏はシャツに、冬はコート等に貼り付けることで、1年中クールpeople。

或いは適当なことを言って商品を買わせる「クールな」ビジネスへの揶揄。(暑ければ涼しい恰好をすればいいだけなのに、いい大人たちがそんなことも誰かが舵取りをしないとできない。)

あいつもこいつも 目撃者なのに 社会の欺瞞に足を止めない。通りすがりだと言うのだろうか?Everybody!(Be cool! / 野猿)”


『野球拳用のシャツ』
来場者は1回2,000円で作家とじゃんけんし、もし勝ったら無料でこのプリントを入手できる。
・コミュニケーション、選択、法律、自由、遊戯、交渉などに関わるプリント。
※野球拳による衣服譲渡の実施は、ケースによっては賭博罪や風営法違反にあたる可能性が非常にわずかですがあるかもしれません。ご注意下さい。



『盗んでもいいシャツ』
着ているシャツを気づかれずに盗む。
この一見、許可されたようで実際難しい行為。どうやったらできるのだろうか。
(当然、着用者を強く傷つけるような行為はNGだとして。)
下記、アイデアを思いつくままに書いてみた。
 
①(裸になる状況を作り)自発的に脱がせたシャツを盗み、同じ柄のシャツと入れ替える。
②本人がそれと気が付かないように、(例えば薬物や電気ショックなどで)本人の意識、或いは記憶を消す。
③概念だけを盗む。例えば、持ち主が気が付かない間にそのデザインを盗むような。
④(洗濯・乾燥中など)非着用状態で盗む。
それぞれの場合、盗まれた人は何を失うのだろうか。「盗む」を軸に考える。


『交換されるための服』
・着ていた人同士の身体性(体温、匂い、汗、化粧、細胞、感染症など) の交換。
・交換される服自体の特性(サイズ、生地、意匠) の交換。
・それぞれのもつ服の持つ固有の社会性を意識させる
・服のセンス、似合わない服を着るという事
※展示の際、来場者から「もしこの行為を世界中で行う人が出てきて、ネットでバズったら面白そう。」との声を頂き、ハッシュタグを加筆しました。また、その際はシャツ限定でしたが、シーズン的に他の服にも汎用できるよう、若干文面を変更しました。

『一緒に歌う』
今回作っている他のいくつもの作品が、少数の人間たちの間においてこっそり行われる遊びを志向しており、それはそれで素敵だと思うのだけど、それと戦争(:「自分たち」以外への攻撃)や排外主義に関して、通じるものがあると感じた。
狭い世界の素敵さ、依頼心、依存、他者。

『あだ名』
・あだ名は
一時的なもので、関係性にあるもので、現前的なもので、偽物でつまり本物。

”あだ名は、記憶と忘却の境界上で生まれる。それは固有名を普通名にし、普通名を固有名にする。それは独特なかたちで<時>とむすびついている。すなわち、それは交替と更新の契機をみずからのうちにとどめており、それは不朽化はせず、鋳直し、生まれ変わらせる。
[……]
名は神聖化するが、あだ名は冒潰する。名は公式的であり、あだ名は無遠慮である。
[…]
恐怖、祈り、崇拝、祝福、敬虔、これらに相応した言語的・文体的形式は、名に惹かれる。名は生真面目であり、これにたいしてはつねに距離が存在する。”(桑野隆『増補 バフチン』平凡社ライブラリー P240)


・あだ名をつけるという行為は、時にその対象に一生残る仮面をおっかぶせる暴力となりうる。その暴力を「誘発/幇助」するという暴力と、それを主体的/積極的に被虐することで芽生えるクリエイティブの場。

・僕は個人的に昔から「ある特定の対象を呼ぶ呼び方の数は、その対象との親しさ(≠絆の強さ)に比例する。つまりフランクに接することができる相手ほど多くの呼び方で呼べる」という仮説を持っている。それもあってか、会う人会う人、全てから異なるあだ名で呼ばれるのって、ちょっとだけ憧れる。

『そして私たちは歴史であり~』
私たち全ての存在は互いに影響しあい続けている(と言えるかもしれない。)私たちはそれをしばしば忘れる。

 
『サイン』
本展示の作家のサインのみ描いてあるプリント。
ここに購入者が自ら図案をプリントすれば、(少なくともはたから見た人に対しては)そのプリントに関わる責任の一端をサインの持ち主になすりつけることができる。
 
服を作る者と着る者において、茶道でいう「主客一体」的な趣きの強い衣服において、「作者」というものを問い直す。

『やがてキャンバスになる服』

服の可能性を考え、それはキャンパスにもなり得るという特性に着目した作品。
ただ、アイデアはそれだけで特にそこに書きたいものもないので、逆にそれを会う人に聞いてみようと考えこのような作品になった。

服として日々を共に過ごした布に描く絵。そこには、通常、普通に描かれるものとは異なる文脈が織り込まれるのではないかと思う。そのインストラクション(指示)/お題とともに、どのような作品が生まれるのだろうか。

描かれるであろう「絵画」について当事者である、その「服」自身同席の上で語り合うことでどのような創造、アイデアの場が生まれるのであろうか。

『着用衣服・オークション』
目の前にある衣服に値段をつけさせ、場合によっては販売を示唆する服。
衣服に付随する身体性の残滓、その購入に伴う、対面の相手とのコミュニケーションの遊び。
 
例えば洋服の買い手は相手の着ている服を買い(奪い)、相手を変化させる暴力の喜びを体験し、或いは売り手は金額の交渉等を通じて「欲望される自己」としての承認があるかもしれない。衣服を軸にした小さな物語が生まれるかもしれない。

『あなたはこの文章を読む。』
このプリントを読んでいるという事は、あなたはそのプリントの前に、そのプリントと共に存在しているのだろう。しかし本当にそうなのだろうか。
 
例えば科学的に言えば、対象と知覚・認識の間には時間差があり(眼なら光、耳なら音の速度。そして身体・脳内の伝達)、私たちは本当の対象そのものを(恐らくあなた自身の意識も含め)認識することはできない。また例えばある種の独我論的に考えれば、実際の所「私」や「あなた」は存在しないのかもしれない。
街中でこのシャツを見た人に懐疑を与える。

『still alive』
河原温さんの「I Am Still Alive」のアイデア・サンプリング。2014年に亡くなったとされる河原さんへ、河原さん(或いはその作品)は「まだ生きている」というオマージュも込めて。
 
目の前にいる人のシャツに「I am still alive」と書いてあったら「でしょうね笑」という感じになるかな?と思いました。
そして当たり前のものを強調された時、同時に発生する逆説を通し、それをみる者の世界を変えられるかもしれないと考えました。

『Cut this piece』
オノ・ヨーコさんの作品「カット・ピース」(ステージの中央に座ったオノさんに対し、観客が順番に壇上に上がり彼女の衣服にはさみを入れていくというパフォーマンス)のアイデア・サンプリング。
 
このプリントを見た誰かが、そこに書かれた文字に誘発され、着用者を切りつけるかもしれない。
そのように服を着る人がもし危険な目にあったとしたら、作者である私としても非常につらい。だから、このプリントを作成した。やらせたくないことをさせることに関して考えるために。
 
「君たちが望めば、戦争も終わる。(War is over, if you want it)」”Happy Xmas (War Is Over)” John & Yoko/Plastic Ono Band
 
もし「君たち」が望まないことを強いられた時、それをはねのけることができれば戦争も終わると思う。
しかし誘惑は様々な形で訪れる。一例として「やりたくないからこそ、やりたい」という使命感の裏に潜む欲望となって。

『キスマーク』
会場にいる来場者同士でキスマークをつけあってもらい、それをそれぞれ撮影しプリントに印刷する。(2400円/2枚セット。展示品はイメージです。なお、実施の際はコロナなど感染症には十分にご注意ください。)
 
一緒に来た人同士で行うか、会場で出会った人同士で行うか。
 
唯一性、同期性、親密さ、一回性を築く。